スタッフダイアリー

被災地を訪れました

営業部長 加納 修二 自己紹介
2012/10/31(水) 日々について

0月26日~28日に、建築会社様の下請業者会の旅行で宮城・東京と旅行に行ってきました。

今回の旅行の趣旨の一つに震災被災地を訪れお金を使い、少しでも被災地復興の支援ができれば・・と言うことでした。


初日は宮城県・南三陸町で宿泊し、翌日は仙台に移動、最終日は東京という行程でした。

初日、南三陸町に着いた時はすでに日も暮れて真っ暗で、町の様子は分らなかった訳ですが

翌朝、被害の様子を目の当たりにして言葉を失うくらいでした。

かつて市街地が広がっていたという所は建物の基礎のコンクリートのみを残し何もなく

コンクリート造りの建物が残っているだけでした。

真ん中の鉄骨だけになってしまった建物はかつての防災庁舎です。

最後まで住民に避難を呼び掛け続け犠牲になった女性職員の話の現場です。

ここには多くの花が手向けられ線香の煙が立ち込めていました。

町の至る所にはまだ瓦礫の山が多く残り、復興にはまだまだ時間とお金が必要と云うことが伝わってきました。

長い支援が必要です。

 

所変わって、宮城の気仙沼市の様子です。

ここは漁業の盛んな町で港の近くに市街地が広がっていた所です。

海から700mの地点にはこのように中型の漁船が撤去できずに残っています。

住民の方々の意見としては『見ると辛いので撤去してほしい』という意見と『震災津波の記憶に留めるために残すべき』

との両方の意見が有るようです。

撤去するにも一億数千万というお金が必要と云うことでした。


下の写真のプレハブの建物は,復幸マルシェと名付けられた商店街のような所です。

かつてこの町で商売を営んでいた人たちが助け合いながら肩を寄せ合いながら頑張って、商売を続けてみえます。

私たちがお話を伺った事務局の代表のかたの話では、町を出ていく人が多く

また、自分の土地であっても建築許可が下りない為、町の復興はまだまだ先だろうし

この広大な町全体を盛土して、新たに整備しても人が帰ってくるかは疑問だということでした。

この復幸マルシェで食事をとり、来月の建築会社様のイベントで使う景品の買物をして来ました。


残念に思ったことは、写真の漁船の前でニコニコ笑いながらピースサインで記念写真を撮って帰って行く人たちがいたことでした。

時間が経つにつれこういう人が増えるだろうなと感じました。早い復旧、復興を願いました。

 

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